就ベンジョンソン

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怒涛の就職留年を走り抜いた とあるベンジョンソンのブログ

わい「大学留年するわ」親「は?何考えてんの?」

 はじめに

 前回、自分の就職留年の決断について、書きました。

venture-syukatsu.hatenadiary.com

 その時の、最大の難関だった、親との闘いについて今回は書いていきます。

ちなみに、決断したのは6月の中旬だったと思います。

 もう、持ち駒が全部無くなってた時期です。

 ※注意※

今回は会話内容も多いので、長文になっています。

何卒最後までお付き合いください。

 

 

就ベンと親の関係

 僕は一人暮らしです。

僕は関東に暮らしており、実家は関西のド田舎です。

なので、就職留年は電話で伝えました。

 

「ん?まずは相談しなかったの?」

はい、相談はしませんでしたね。決断⇒親への報告をしました。

なぜかと言うと、それまで就活の相談で、

企業選びや今後のキャリアについて、自分の考えをあまり理解してもらえなかったんですね。

(反対されることはなかったのですが)

例えば、

就ベン「コンサルとか、メガバンに行きたい」

親「ん?なんで?メーカーとか日系の企業は受けへんの?」

就ベン「だってさ、もう40年一つの会社で勤め上げるなんて、あり得へんやん、

やったら、若いうちから、ちゃんとビジネスの実力付きそうなとこに行きたい」

親「は?何考えてんねん、そんなん一握りの優秀なやつやぞ。お前はちゃんと育ててもらえる日系大手の方がいいと思うで」

みたいな感じで、反対はされなかったけど、理解もされなかった感じでしたね。

 

 

すこし余談

メガバンは若いうちから実力付くかは分かりません。(オワコンなんて言われてますし)

事実、19卒の採用人数は削減され、厳しそうです。(19卒では受けなかったです)

メガバンの採用人数削減の原因は色々ありますが、

その一つはITによる業務効率が進み、そんなに人がいらなくなったんですね。

しかも、お給料(人件費)はそれなりに高いですし、

会社も雇い続けるのはしんどいんですよね。

www.asahi.com

www.businessinsider.jp

 

 

恐怖の親への報告~第一ラウンド~

少し余談を挟みましたが、恐怖の親への連絡です。

親へ、相談はしてないと言っても説得は必要でした。

留年の思いは固まっていたので、認めてもらうための交渉の記録になります。

 

あの電話は忘れません。それは一蘭でラーメンを食ってた時の出来事でした。

電話をしたい旨だけを事前にLINEで伝えていました。

 

一蘭の机におかれた僕の携帯君「ブーブーブー、、、」

就ベン「ズズズズズ、ブブ、うわ!?(ラーメンをすすり、驚いて吐き出す音)」

     「もしもし?」

父「おーわしやけど、どないしたんや?」

就ベン「あー今、大丈夫?」(気遣いの言葉をかける間に気持ちを落ち着ける)

父「大丈夫やで、そういえばE〇の面接どうやった?」

就ベン「(核心ついてきよった汗)あーあかんかったわ、、、」

父「そうか、、、次どうすんねん?面接いつや?」

就ベン「、、、、、、」

   「あ、あのさ、、就職留年しようと思う

父「は?!どういうことや?」

怖すぎぃぃぃwwwwww(もう心折れそうです)

就ベン「いや、就職留年させて欲しいねん。実は行きたかった企業の持ち駒全部なくなってしもてん。色々知り合いとか相談して、就留でもいけそっ、」

父「ちょい待ちや、留年すんのか?単位とかじゃなくて就職失敗してか?」

就ベン「うん、そう。持ち駒無くなってしもて。。。」

父「いや、他にあるやろ。調べろや。前わしが言うてた〇治安田生命とかまだやってるやろ。ほんまに行きたいとこもう終わったんか?ちゃんと調べろ!」

就ベン「いや、保険はあんま、、分かった、もうちょっと調べてみる」

 (怖すぎて、とりあえず電話切りたいwwwww)

父「おう、ちゃんと調べてまた報告しろ。用事あるから切るぞ?」

就ベン「うん、分かった。また連絡する。じゃ、また」

 

怖かったーーーー、、、あーとりえずラーメン食べて考えよ。

うわ、のびのびやんけ、、、まず、、。

という事で、この日は大好きな一蘭を残すという記念日にもなりました。

 

 

恐怖の親への報告~第二ラウンド~

あれから、LINEで何回か親と連絡を取り、親からは次の事を言われました。

(電話は怖すぎたので、文面でやり取りしましたw)

①諦めるのは、まだ早い。もうちょっと志望業界広げろ

②もし、仮に就職留年したとしても面接で不利じゃないか?

③留年の間は何をするんや?

 

とりあえずは、志望業界を広げ就活を続ける事。話はそれから!

って感じでしたね。

でも、僕は就職留年を決断するにあたって、それなりの準備をしていたのです。

 

・自分の就活軸に合う企業はないか

・残った企業の選考の日程

・就留した場合の今後の選考有利・不利

(外コンに行った留年経験ある先輩と何人か会っていました)

・就留した場合の来年度の計画

 

という訳で、こう決断しました。

親に就活を続けると嘘を付き、19卒の就活を開始してしまう

 

もちろん通年採用している企業はありますが、

ダラダラ続けると今度は19卒のインターン選考が始まってしまい

どちらも中途半端になるというリスクがあったんですね。

 

この方法は決して褒められるものではなく、一人暮らしという物理的環境も相まって踏み切れたものでしたので、参考になるかはわかりませんが一つの戦法として参考にして下さい。

 

 

恐怖の親への報告~最終ラウンド~

最終的に、親を説得することができたのは7月中旬でした。

この時期は、

・サマーインターンへエントリー&選考開始

・メガベンチャーで長期インターンを始めた

の傍ら、親へは「就活を継続している」と報告していました。

就職留年の報告のタイミングは

「継続していた就活の持ち駒が無くなり、完全に就職留年をさせて欲しい」

という相談から始まります。

準備したのは、以下の通りです。

 

・18卒の就職報告&失敗の原因のレポート

・今後1年間のスケジュール&既に長期インターンを開始するという事実

・就職留年が不利ではないというOB訪問の報告

・留年にかかる費用&完済できるレポート(想定収入も込みで)

 

全くの準備ナシの状態で説得できるとは到底思えず、準備は入念に行いました。

一番効いたのは、

既に来年に向けて動き出している(長期インターン)という事実を作ったことでした。

 

留年のお願いから始まった電話は3時間くらいだったと思います。

自作の想定問答集を見ながら、話していました笑(恐怖と理詰めで圧倒されるので)

壮絶な恐怖&自己嫌悪と格闘しながら、お願いし続けると親も最後は何とか僕の考えを理解してくれました。

 

その時、親から追加でオーダーされたのは、

①今後は受ける企業を志望理由と共にまとめる

②これから、日報をつける

③12月までにTOEIC(800点取ること)

①、②は週次で報告する事でした。

 

こうして、壮絶な親への就留報告は完了したのでした。

皆さんも交渉材料として、参考にしてみて下さい。

 

 

おわりに

 いかがでしたでしょうか?

就職留年の決断は親の反対が大きな関門の一つだと思います。

「留年させて!」とただお願いするだけでは、認めてもらうことは難しいので、ある程度の準備と説得が必要なのでご参考にして下さい。

 

また、僕の人生を第一に考えて就留を認めてくれた、親へは本当に感謝しています。

改めて親の偉大さに気づきました。

人それぞれ家庭の事情はありますが、

きちんと相談すれば親は最後に理解してくれます。

このブログが皆さんの判断材料になれば幸いです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!